連載コラム

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2022年03月18日

未来へ走るなでしこリーガー 第1回 中野 真奈美(スペランツァ大阪・MF)

「2022プレナスなでしこリーグ」1部は3月19日、2部は3月26日に、34年目を迎えるシーズンが始まる。1989年、JLSL(日本女子サッカーリーグ)は国内トップリーグとしてスタートし、「L・リーグ」、そして2004年から「なでしこリーグ」と名称を変えて歴史を刻んできた。名称やクラブ数が変わっても、変わらなかったものがある。高い競技力と、どんな時もサッカーを続けようと努力するひたむきさだ。「なでしこ」に込められた原点ともいえるその魅力を改めて探る連載、「未来へ走るなでしこリーガー」もシーズンと同時進行する。

第1回は、昨シーズンまでの出場試合数が現役最多となる322試合、今シーズンで歴代1位となる大記録達成を目前にする「スペランツァ大阪」(大阪府高槻市)のMF、中野真奈美(36)が、未来へ走る。(連載担当・スポーツライター増島みどり・文中敬称略)

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なでしこリーグ史上最多、325試合出場記録更新がすぐそこに

ー大記録が達成されるシーズンになりますね。
 中野 ・・・

ー山郷さん(のぞみ、現WEリーグちふれASエルフェン埼玉コーチ)が2014年に引退する時、この出場試合数は不滅かな、と思いましたが、破られるものですね。
 中野 ・・・分かりません。

ー確かに、スポーツでは何が起きるか分かりませんから皮算用はいけません。けれどもあと3試合で山郷さんに並びますから、多分今シーズン中の達成は間違いないかと・・・
 中野 それが、分からないんです。

ー分からないって?
 中野 自分が何試合に出場していて、山郷さんの記録を破るとか、分からないんです。

ーエーッ、そちらの'分からない'ですか?つまり、ご自分の現在の出場試合数を知らなかったんですね?
 中野 はい、すみません・・・ホントに知らなくって。


 偉業を叶える秘密は、「特になし」

 開幕直前に行った中野へのインタビューは、本当に、全くかみ合わない肩透かしで始まった。「分かりません」の真意を聞けば何ともユーモラスで、自分の大記録には特に関心を持たない、彼女らしいおおらかさが漂うやり取りにも思えた。
 元日本代表GK、山郷のぞみが2014年に到達した、なでしこリーグ出場325試合、歴代1位の出場記録は当時不滅と評価された。リーグ通算在籍年数は21年にも及び、女子で300試合を超えたのは、当時は澤穂希(319試合、15年引退)と2人だけだった。
 中野は開幕前時点で322試合、歴代1位を抜いて大記録を達成するまで4試合となる。なでしこリーグが1989年にスタートして以来、出場数が300試合を超えた選手は現在までわずか6人のみ。うち、山郷、澤、大野忍(319)、GKの小野寺志保(315)、中野と同い年で共にプレーをした松田望(300)がすでに引退しており、大記録のさらにその先へ、出場試合数を伸ばす可能性がある。
 Jリーグの試合数に比べ、女子は今季は22試合、それよりも少ないシーズンが多かった。200試合でも10年がかかる。300まで行くと、実に15年の実働年数が必要になる。17年目に達成されようとする大記録は、大原学園をスタートに、岡山湯郷Belleーベガルタ仙台レディースとマイナビベガルタ仙台、AC長野パルセイロ、ノジマステラ神奈川相模原と7クラブを渡り歩きながらも、移籍先で常にコンスタントに出場をしてきた稀なキャリアの輝きをも表す。
コンディションの維持に加え、メンタルがフレッシュでなければ続くものではない。その秘密を聞くと、「うーん、特にないんです」と、またもや肩透かしにあう。これまで大けがはなく、中足骨の骨折ただ1度だけだという。
「ストレスがないのが一番のコンディショニングなのかな、って思っています。何かをこうしなきゃダメ、と決めて過ごすよりも、流れに任せます。ただ、今はスポンサー企業のお陰でサッカーに集中できる環境を与えられていますから、時間を有効に使えるようになりました」
 オンとオフの切り替えを心掛ける。昨年、「サッカーを離れてから、いつかは」と夢見る父親との北海道ツーリングを叶えるために、自動二輪の免許を取得したのもオンオフの切り替えの器用さゆえだろう。

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(勤務するエスアールジャパンから提供される「パワーボール」と銘打った「おにぎり」をもつ中野)

 35歳ののびしろ 目標は全試合出場

 ノジマからの移籍を機に、スペランツァ大阪を運営するスーパーマーケット「株式会社コノミヤ」の取引先で、米飯の製造販売を手掛ける「エスアールジャパン株式会社」に所属する。午前中は練習、午後は自由な時間を持てる環境で、栄養士の指導のもとカロリー、成分にも配慮して自炊する。選手たちのリクエストで、エスアールジャパンが「パワーボール」と銘打った栄養価の高い「おにぎり」を作り、試合日にはから揚げ、卵焼きなどと一緒に提供してくれる。
 昨シーズンは、長いキャリアでも初めて、厳しい残留争いを経験した。ベテランのサッカー観は、チームが苦境に立たされ新たな境地を見出す。これまでは自身のパフォーマンスやコンディションがチームに貢献できる条件だと重視し、ピッチに立ってきた。しかし常にチームが勝てるかを最優先にしなければ降格する状況下で、中野は自分がどういう状態か以上に、今ピッチで何が起き、どうすれば最善の選択ができるか、ワンプレー、ワンプレーをチームの勝利優先の判断に変えていったという。
 自分にとってシュートの絶好機も、ゴールに近いほうに、より得点する確率の高い選手が走っていればそちらへパスを出す。
 「初めて経験した残留争いは、とてもキツイものでした。ただ、新たな経験を積めたのは貴重でしたね。チームでそれを活かして、今年は6位以内を狙いたいです。個人的にはケガなく全試合に出場したい」と、その先に322試合の更新を見据えている。
 湯郷では宮間あやと福元美穂、仙台でも川村優理、長野でも横山久美、ノジマで大野忍と、日本代表として女子サッカーを世界にリードしたスター選手たちと共にプレーし、パスを送った。WEリーグが誕生したが、「私にとってプロサッカー選手とは彼女たちの背中でした。自分があぁなれるとは思えなかった」と、なでしこを「選んで」プレーする理由を明かす。湯郷ではスーパーで特売の「ポップ作り」や、派遣会社で事務にも就いた。仙台を運営した「アイリスオーヤマ」では通販の仕事をこなし、「ノジマ」ではユニホーム姿でレジ打ちをし、数々の仕事も重ねた。
 なでしこの変遷と歩んできた322試合は、多くの企業に支えられる女子サッカーの魅力を中野が伝えた数でもある。その背中を、チームメートの深澤里沙(291)をはじめ、後に続く選手たちが見つめている。
 取材を終えた時、自分の試合数がいくつで、それがどんな価値を持つのかなど考えなかったからこそ、未踏の域にたどり着いたのだと分かった。鉄人記録はどこまで伸びるだろう。
 鉄人のイメージとは正反対の、自然体でしなやかな「なでしこのシンボル」によって。

中野 真奈美 プロフィール
1986年8月30日生まれ 北海道北斗市出身 ポジションMF
大原学園JaSRA女子サッカークラブ→岡山湯郷Belle→ベガルタ仙台レディース(マイナビベガルタ仙台レディース)→AC長野パルセイロ・レディース→ノジマステラ神奈川相模原→2021年よりコノミヤ・スペランツァ大阪高槻(現スペランツァ大阪)所属
元なでしこジャパン代表。
初出場:2005年4月10日 18歳223日、100試合出場:2009年11月1日 23歳63日、200試合出場:2015年04月5日 28歳218日、300試合出場:2020年11月21日 34歳83日
2021年リーグ戦終了時点の出場記録は322試合。今シーズン開幕から最多出場記録325試合(山郷のぞみ)へ臨む

写真提供=スペランツァ大阪     
スペランツァ大阪 チームURL=http://www.nadeshikoleague.jp/club/konomiya/

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