日本で女性がサッカーをプレーすることが珍しかった時代から、女子サッカーリーグ開幕、女子ワールドカップ優勝、女子プロサッカーリーグ創設、また、女子サッカーを取り巻く環境、そして社会情勢は大きく変化してきました。
年内にかけて全22回の連載を予定しています。激動の日本女子サッカーの歴史を振り返ります。
オープニングセレモニーの様子
1「はじまり日」
1989年9月9日土曜日は、「なでしこリーグ」の誕生日です。当時はこの愛称もなく、「日本女子サッカーリーグ」(Japan Ladies Soccer League、略称JLSL)という正式名称があるだけでした。
日中はまだ夏の暑さが残っていましたが、秋の日は短く、東京の西が丘サッカー場(現在の味の素フィールド西が丘)は、午後7時キックオフの開幕戦「読売ベレーザ対清水FC」を前にオープニングセレモニーが始まるころには、とっぷりと暮れていました。
この日、西が丘には、初年度のリーグに参加する全6チームが集まりました。全日本鼓笛ジュニア50人の友情演奏に導かれ、プラカードに先導されてユニホーム姿の6チームが入場します。それは、日本の女子サッカーの新しい時代を象徴する姿でした。
日本サッカー協会への女子のこの年の登録数は、チーム数491、選手数10,409人。現在の3分の1程度で、日本の女子サッカーはまだまだ発展途上にありました。しかしこの翌年の1990年アジア競技大会(北京)で女子サッカーが正式種目として行われることが決まり、さらに1991年には第1回の女子ワールドカップも開催されることも発表されて、女子サッカーの強化は急務でした。
しかし強豪チームは東京、静岡、そして関西の2府県(大阪と兵庫)と散らばっていました。年にいちどのノックアウト方式の大会である全日本女子選手権だけでは真剣勝負の場が足りません。そこで「全国リーグをつくり、年間を通じて高いレベルの試合を実施することで強化を図ろう」と立ち上がったのが、当時日本サッカー協会で女子を統括する「第5種委員会」の委員長を務めていた堀田哲爾(ほった・てつじ)さんでした。
神奈川県の横浜市で女子チームの運営に当たっていた黒滝等さんを事務局長に迎え、持ち前の馬力を生かして構想からわずか半年でリーグのスタートを迎えます。
初年度の参加チームは、読売サッカークラブ女子・ベレーザ(東京)、清水フットボールクラブ(静岡)、田崎真珠神戸フットボールクラブ・レディース(兵庫)、日産FCレディース(東京)、新光精工FCクレール(東京)、プリマハム・FC・くノ一(三重)、1都3県の計6チームでした。
ベレーザのエース野田朱美選手の選手宣誓が行われた9月9日のオープニングセレモニー後には「ベレーザ対清水」の試合が行われ、翌9月10日日曜日に同じ西が丘サッカー場で「新光対プリマ」「日産対神戸」の2試合が行われました。
注目の開幕戦は、FW半田悦子、MF木岡二葉という日本代表選手に加え、当時アジアのトップレベルにあった台湾代表のFW周台英を補強した清水に注目が集まりましたが、全日本選手権2連覇のベレーザがしっかりとした試合を見せ、2-0の勝利を収めました。
記念すべき第1号ゴールを記録したのはベレーザのFW高倉麻子(現・なでしこジャパン監督)。前半27分、MF手塚貴子のクロスに右足で合わせてゴールに叩き込みました。そして試合終盤にはMF早川明子が豪快なFKを叩き込み、ベレーザが2-0で勝利を収めました。
この試合が、ことし第33回大会を迎え、日本中のサッカー少女たちの目標となっているなでしこリーグの「はるかな旅」の第1歩でした。
文=大住良之(サッカージャーナリスト)
写真=ベースボール・マガジン社
(つづく)