連載コラム

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2021年09月15日

なでしこリーグの歴史を知ろう 第7回「日興證券の夢と悲劇」

日本で女性がサッカーをプレーすることが珍しかった時代から、女子サッカーリーグ開幕、女子ワールドカップ優勝、女子プロサッカーリーグ創設、また、女子サッカーを取り巻く環境、そして社会情勢は大きく変化してきました。
年内にかけて全22回の連載を予定しています。激動の日本女子サッカーの歴史を振り返ります。
(毎週水曜更新)

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第3回大会からリーグに加わった「日興證券ドリームレディース」

 スタート2シーズン目の1990年度から日本女子サッカーリーグ(現在のなでしこリーグ)で4連覇を飾った「読売日本サッカークラブ女子ベレーザ」。しかしそれぞれのチームの支援企業が力を入れ始めてハイレベルな外国籍の選手を導入したことなどで、一転して「戦国時代」が訪れます。1994年度の第5回リーグは「松下電器レディースサッカークラブバンビーナ」が、そして翌1995年は「プリマハム・FC・くノ一」が優勝を飾ります。
 松下は1991年度の第3回リーグから参加、1994年は前期こそ7位だったものの、後期はDF埴田真紀を中心とした堅固な守備(9試合で4失点)を武器に粘り強く戦って首位、優勝決定戦では前期優勝のベレーザを1-0で下して初優勝を飾りました。このチームは、「コノミヤ・スペランツァ大阪高槻」として、現在もなでしこリーグで奮闘しています。
 プリマハムは第1回リーグからの参加チーム。宮内聡監督の指揮の下、カナダ代表FWシャーメイン・フーパー、中国代表MF李秀馥といった強力な外国籍選手とともに、DF東明有美、MF永留かおる、FW内山環などの日本代表クラスを擁し、前後期とも全勝で「完全優勝を果たしました。このチームも、「伊賀FCくノ一三重」として今季のなでしこリーグで活躍しています。
 しかしこの時期にどんどん存在感を増したのが、1991年の第3回大会からリーグに加わった「日興證券ドリームレディース」でした。大手証券会社の日興證券が、当時の岩崎琢弥社長の決断で1990年にチーム結成。いきなりその年度の全日本女子選手権大会(現在の皇后杯)で優勝を飾って1991年には早くも日本女子サッカーリーグに昇格、1年目から4位を占め、翌1992年度には全日本女子選手権で2回目の優勝を飾ります。
 岩崎社長から初代監督を託された鈴木良平監督は、「全選手を社員とし、サッカーに専念させる」「専用の練習グラウンドを確保する」「クラブハウスの建設」「選手寮をつくる」など、男子の日本リーグなみの環境を要求、それがすべて受け入れられます。そしてユニホームや練習着だけでなく、オリジナルデザインの練習ボールまでつくり、まさに周囲がうらやむ環境のなかでチーム強化が進みました。
 1992年にはノルウェー代表のFWリンダ・メダレンとDFグン・ニイボルグを補強、1994年には同じノルウェー代表のMFヘーゲ・リサも加えます。そして彼女たちに引っぱられるように、DF山木理恵、大部由美ら日本人のタレントも急成長します。
 1995年にはプリマハムに次ぎ2位でしたが、1996年のシーズンを前に日本女子代表監督の経歴をもつ鈴木保監督が就任、ついに前後期とも1位を占めて初優勝を飾ります。エースのメダレンは、前年にプリマハムのフーパーがつくった1シーズン(18試合)27得点という記録を破り、29得点を記録して得点王と最優秀選手賞に輝きます。
 翌1997年は後期優勝を「読売西友ベレーザ」に奪われますが、チャンピオンシップではMFリサとFW武岡イネス恵美子が得点、ベレーザの反撃を澤穂希の1点に抑えて2-1で勝利、連覇を飾ります。
 3連覇を目指す1998年、メダレンとリサがチームを離れますが、日興證券は着実な戦いで前期全勝。後期も鈴与清水には敗れたものの、GK西貝尚子が奮闘し、エースのFW大松真由実がスピードを生かして攻撃を切り開き、8勝1敗で優勝を決定、3連覇を達成します。
 しかし後期リーグ真っ最中の10月、日興證券はこの年度をもってチームを解散することを発表します。「バブル経済」が崩壊した後、日本の経済は不況が続いていました。日興證券も経営不振に陥り、コスト削減の一環として女子サッカー部の解散を余儀なくされたのです。ここまで10回にわたるリーグでベレーザの4回に次ぐ3回の優勝を飾った日興證券。日本の女子サッカーを世界に飛躍させたいと努力してきた「夢」は終わりました。
 しかしリーグの打撃はそれだけにとどまりませんでした。日興證券と同じ1991年からリーグに参加した「フジタサッカークラブ・マーキュリー」も廃部を決定、年が明けて1999年はじめには、第1回リーグのチャンピオンでずっと優勝争いに加わってきた「鈴与清水FCラブリーレディース」と、1993年にリーグ入りした企業チームの「シロキFCセレーナ」もリーグからの撤退を決定、日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)は、ブームから一転、存続の危機に立たされるのです。

文=大住良之(サッカージャーナリスト)
写真=ベースボール・マガジン社

(つづく)

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