連載コラム

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2021年09月29日

なでしこリーグの歴史を知ろう 第9回「冬の時代に耐える」

日本で女性がサッカーをプレーすることが珍しかった時代から、女子サッカーリーグ開幕、女子ワールドカップ優勝、女子プロサッカーリーグ創設、また、女子サッカーを取り巻く環境、そして社会情勢は大きく変化してきました。
年内にかけて全22回の連載を予定しています。激動の日本女子サッカーの歴史を振り返ります。
(毎週水曜更新)

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リーグ存続のため、東西に分かれたリーグ戦を採用

 1998年のL・リーグ(現在のなでしこリーグ)で3連覇を決めて大喜びをする「日興證券ドリームレディース」でしたが、その姿を見て涙を流す人も少なくありませんでした。
このシーズンの終了をもって、チームが解散されることが決まっていたからです。
 スポーツは世の中の動きと無関係ではありません。いやむしろ、世の中の動きをそのまま映し出すものとも言えます。
 「バブル経済の崩壊」という言葉は、誰でも知っていると思います。1980年代のなかばから1991年にかけて、日本の経済は急膨張しました。しかしそれはしっかりとした経済成長に支えられたものではなく、土地の価格が急上昇したことによって、土地を所有している企業が大きな財産をもったとカン違いすることによってもたらされたものでした。いったんその流れがこわれると、「シャボン玉(バブル)」のようにはじけてしまったのです。
 バブル崩壊の痛手から立ち直りを見せ始めた日本経済でしたが、1998年に再び大きく落ち込みます。その結果、多くの企業が社員を減らすなどの「リストラ」に取り組むことになります。1円でも経費を削らなければならないときに、スポーツに年間何億円ものおカネを使うことはできません。こうして、多くの企業がスポーツへの支援を打ち切り、会社のスポーツチームを解散したり、活動を縮小することになります。
 バブル経済の崩壊からの10年間で消滅した企業のスポーツチームは、全競技で150近くになると言われています。これによって、昭和時代から日本のスポーツを支えてきた企業チームの時代が終わりを迎えるのです。
 当然、その波はサッカーにも押し寄せます。1998年10月には、女子の「日興證券の解散」のニュースを吹き飛ばしてしまう衝撃がサッカー界を襲います。Jリーグの横浜フリューゲルスが、同じ横浜のマリノスに吸収合併されると発表したのです。これも、両クラブを運営する全日空と日産自動車の経営不振から生まれたものでした。
 L・リーグは、日興證券と前後するように「フジタサッカークラブ・マーキュリー」が廃部を決定、年が明けて1999年になると、「鈴与清水ラブリーレディース」と「シロキFCセレーナ」がリーグからの退会を発表します。1999年のリーグは6月の女子ワールカップ終了後の7月開幕ということになっており、「浦和レイナスFC(現在の三菱重工浦和レッズレディース)」と「日本体育大学女子サッカー部」が加盟して8チームで開催されます。しかしこの年の終わりには、日体大と「OKI FC Winds」が退会を発表します。
 日本の女子サッカーは、1999年6月にアメリカで開催される女子ワールドカップに「人気回復」をかけていました。この大会のベスト8には、翌年のシドニーオリンピックの出場権が与えられることになっていたので、オリンピック出場で女子サッカーの認知度を上げようと狙っていたのです。しかし初戦でカナダと1-1で引き分けたものの、ロシアに0-5、ノルウェーに0-4と連敗してリーグ4位。オリンピック出場で存在をアピールすることはできず、L・リーグだけでなく、日本の女子サッカー全体が大きな危機に立たされていたのです。
 2000年7月のリーグ開幕前には、リーグのチームを支えていたプリマハムと松下電器の両企業が撤退を決定します。しかし両チームはL・リーグに残ることを決め、それぞれ「伊賀フットボールクラブくノ一」、「スペランツァFC高槻」という「市民チーム」となります。
 L・リーグも大きな決断をします。「YKK東北女子サッカー部フラッパーズ」(宮城県)、「ジェフユナイテッド市原レディース」、「ルネサンスフットボールクラブ」(熊本県)の3クラブを加えて9チームになったリーグを、まず東西に分けてリーグを行い、その後上位リーグと下位リーグに分けることにしたのです。もちろん、遠征費を節約するためです。同時に、それまでは観客席をもった「競技場」で行っていた試合を、練習グラウンドで、入場料を取らずに開催してもいいことにしました。
 その一方で、それまでは入会希望チーム同士が対戦することで昇格チームを決めていたことも改める基本的な方針を示します。都道府県リーグ、地域リーグ、そしてその上にL・リーグという「ピラミッド」を確立し、真の意味で日本の女子サッカー全体の頂点にしようとしたのです。
 「冬の時代」のなかで、L・リーグは、「日本の女子サッカーの未来のためにも灯を消してはならない」と、ともかく、生き残ることに全力を投じることにしたのです。

文=大住良之(サッカージャーナリスト)
写真=ベースボール・マガジン社

(つづく)

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