連載コラム

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2021年10月28日

なでしこリーグの歴史を知ろう 第13回「2部誕生、全国に拡大へ」

日本で女性がサッカーをプレーすることが珍しかった時代から、女子サッカーリーグ開幕、女子ワールドカップ優勝、女子プロサッカーリーグ創設、また、女子サッカーを取り巻く環境、そして社会情勢は大きく変化してきました。
年内にかけて全22回の連載を予定しています。激動の日本女子サッカーの歴史を振り返ります。
(毎週水曜更新)

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2004年シーズンから参入したアルビレックス新潟レディース

2004年は、日本の女子サッカー史で忘れてはならない年でした。日本女子代表の活躍で「なでしこジャパン」の愛称が誕生し、「L・リーグ」から「なでしこリーグ」へと愛称を変えた日本女子サッカーリーグではスタートから16シーズン目でついに「2部」が誕生したのです。
 前年までの10クラブから1999年に8クラブに落ち込んだ後、新規の参加希望が増え、2000年には9クラブ、2001年には10クラブ、2002年には11クラブ順調に「回復」してきたL・リーグ。2003年には「大原学園JaSRA女子サッカークラブ」(長野県)と「岡山湯郷Belle」(岡山県)が加わり、13クラブに拡大されました。
 それでも入会希望クラブが跡を絶たず、2004年シーズンには「アルビレックス新潟レディース」(新潟県)を加えて、1部8クラブ、2部6クラブの「14クラブ態勢」で運営することが決められたのです。
 しかしこの「リーグ拡大」は、単に加盟クラブ数が増えただけということではありませんでした。この間に女子サッカーが全国に広まり、活発になって、文字どおり日本全土でプレーされる競技に成長し始めたことを示していました。
 太平洋戦争後の日本の女子サッカーは、1970年代のはじめに関西(大阪と兵庫)と関東(東京と神奈川)にクラブができて試合が行われるようになり、続いて「サッカー王国」となっていた静岡県で少女たちがプレーするようになりました。1989年に第1回の「日本女子サッカーリーグ」がスタートしたとき、その6クラブの内訳は、東京が3クラブ、静岡県、三重県、そして兵庫県からそれぞれ1クラブ、計1都3県で、当時の「女子サッカー普及度」がよく表れていました。
 1991年に10クラブに拡大されたのに合わせて、千葉県、神奈川県、京都府、大阪府の4府県のチームが加盟し、1993年には愛知県、1994年には埼玉県のチームも加わりましたが、関東から関西の間だけという構図に大きな変化はなく、その後も動きはありませんでした。
 しかし2000年に「YKK東北女子サッカー部フラッパーズ」(宮城県)と「ルネサンスフットボールクラブ」が加わり、「L・リーグ」は新しい広がりを見せるようになります。
さらに2003年に長野県と岡山県、2004年に新潟県のクラブが加わったことで、リーグは1都1府10県で試合が行われるようになりました。
 日本のサッカーは、全国47の都道府県のサッカー協会をを9つの地域に分けてさまざまな活動が行われています。北から北海道(1協会)、東北(6県の協会)、関東(1都7県の協会)、北信越(5県の協会)、東海(4県の協会)、関西(2府4県の協会)、中国(5県の協会)、四国(4県の協会)、そして九州(8県の協会)です。
 2003年に大原学園と岡山湯郷が加わったことで、消長はあるものの、日本の女子サッカーのトップリーグにチームを送り出した都道府県は、通算1都2府11県、計14都府県となりました。そして地域としても、第1回から1999年の第11回までのまでの関東、東海、関西の3地域だけに固まっていたものから、2000年に東北と九州、2003年に北信越と中国が加わったことで、9地域中7地域に女子サッカーのトップクラブが存在することになりました。
 ここから少し時間がかかりますが、2010年に「ノルディーア北海道」が加わったことで北海道が、そして2012年に「愛媛FCレディース」(愛媛県)が加わって四国のチームがはいり、日本サッカーの全9地域から参加チームが出たことになりました(2010年以降は「チャレンジリーグ」も含みます)。都道府県単位で見れば、2020年までに計24の都道府県になりました。なでしこリーグは日本の「過半数」を覆ったことになります。
 リーグ創設の当初の目的は、強いチーム同士が競い合って日本女子代表チームを強くすることにありました。しかしリーグの吸引力が全国の女子サッカーに刺激を与え、裾野を広げ、上を目指すクラブを日本全国に増やしてきました。そしてハイレベルな女子サッカーの試合に触れる機会を日本中に広めました。
 なでしこリーグは、日本の女子サッカーの発展に大きな役割を果たしてきました。そしてその発展のきっかけが、リーグが最も苦しい「存亡の危機」の時期だったことに、日本の女子サッカーの強い生命力を感じるのです。

文=大住良之(サッカージャーナリスト)
写真=Jリーグ

(つづく)

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