連載コラム

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2021年12月15日

なでしこリーグの歴史を知ろう 第20回「さらにふくらむなでしこの夢」

日本で女性がサッカーをプレーすることが珍しかった時代から、女子サッカーリーグ開幕、女子ワールドカップ優勝、女子プロサッカーリーグ創設、また、女子サッカーを取り巻く環境、そして社会情勢は大きく変化してきました。
年内にかけて全22回の連載を予定しています。激動の日本女子サッカーの歴史を振り返ります。
(毎週水曜更新)

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2015プレナスチャレンジリーグ EAST 第1節 大和シルフィードvsノルディーア北海道@大和市営大和スポーツセンター競技場(2015/4/5)

 なでしこジャパンが2011年のFIFA女子ワールドカップで日本中を感動させる優勝を飾ったことで、日本でも、ようやく、少女や女性がサッカーをすることが別に珍しいことではないととらえられるようになりました。
 1979年に日本サッカー協会で女子の登録が始まった年は、登録されたチーム数はわずか52、選手数は919人でした。それも全国に広がっていたわけではなく、日本全国47の都道府県中、わずか13の都府県にあっただけでした。その数字が、チーム数も選手数もおよそ10倍になった1989年に、「日本女子サッカーリーグ(後のなでしこリーグ)」がスタートしました。
 そして女子ワールドカップ優勝後の2013年、チーム数は1409、選手数は3万0243人となります。これ以外にも、小学生年代を中心に男子チームに登録してプレーしている選手が女子チームでプレーしている総選手数の80%ほどいましたので、総計すると日本でサッカーに取り組んでいる少女や女性は、優に5万人を超えることになりました。
 大学と高校の全国女子選手権はともに1992年に始まり、年ごとに参加チーム数が伸びて全国各地に強豪チームが生まれるようになります。大学や高校の一部には、なでしこリーグやチャレンジリーグに参加するところもありました。とくに高校で盛んになったことで、日本の女子サッカーの選手層は非常に厚くなっていきます。そして当然、なでしこリーグでプレーしたいと思う選手が増え、なでしこリーグで活動したいというクラブが増えていくことになります。
 2015年、こうした時代の要請に応え、なでしこリーグは大きな変革を行います。
 2014年は、「プレナスなでしこリーグ」10クラブにと、「2部」に当たる「プレナスチャレンジリーグ」が16クラブ、計26クラブで運営されていました。しかし「チャレンジリーグ」は、2010年に東西6クラブずつ12クラブでスタートして以来昇格希望チームが後を絶たず、2013年には4クラブ増やして16クラブとなり、さらに昇格希望チームが挑戦を続けていました。
 そこで2015年、リーグはプレナスなでしこリーグ1部10クラブ、プレナスなでしこリーグ2部10クラブ、そしてプレナスチャレンジリーグを東西それぞれ6クラブという新体制に切り替えたのです。これでなでしこリーグは合計32クラブという大所帯となりました。
 これによって新加入を果たしたのは、ノルディーア北海道(北海道)、つくばFCレディース(茨城県)、横浜FCシーガルズ(神奈川県)、大和シルフィード(神奈川県)、新潟医療福祉大学女子サッカー部、NGU名古屋FCレディース(愛知県)、益城ルネサンス熊本フットボールクラブ(熊本県)の計7クラブ。
 2016年にはオルカ鴨川FC(千葉県)、2017年にはFC十文字VENTUS(埼玉県/東京都)が加わります。合計32ものクラブが競うこの形は、2020年まで続けられます。
 日本中のサッカー少女の夢は、もちろん、なでしこジャパンになって世界を相手に活躍することです。そのためには、なでしこリーグで活躍しなければなりません。その「受け皿」が大きく増え、チャンスが広がったことは、少女たちや高校生、大学生のプレーヤーたちを大きく勇気づけることとなりました。「なでしこの夢」が、さらにふくらんでいったのです。

文=大住良之(サッカージャーナリスト)
写真=Jリーグ

(つづく)

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