日本で女性がサッカーをプレーすることが珍しかった時代から、女子サッカーリーグ開幕、女子ワールドカップ優勝、女子プロサッカーリーグ創設、また、女子サッカーを取り巻く環境、そして社会情勢は大きく変化してきました。
年内にかけて全22回の連載を予定しています。激動の日本女子サッカーの歴史を振り返ります。
(毎週水曜更新)
Lリーグ2005 L1 第1節 浦和レッドダイヤモンズレディースvs TASAKIペルーレFC@さいたま市駒場スタジアム(2005/4/10)
この連載の第5回「『トップランナー』ベレーザ」で書いたように、1989年から2020年にかけて32シーズンの「なでしこリーグ」の歴史は、東京の「ベレーザ」が常に優勝争いの主役を演じ、リードしてきました。「読売ベレーザ」から「読売日本ベレーザ」「読売西友ベレーザ」「NTVベレーザ」そして「日テレ・ベレーザ」へと、時代とともに正式名称はうつり変わりましたが、圧倒的な力を示し続けたベレーザへの挑戦の歴史が、なでしこリーグを形づくってきました。
リーグ初期には、「サッカー王国・静岡」の威信をかけた「鈴与清水」が対抗し、続いて1990年代後半の「日興證券」(千葉県)、さらに21世紀にはいると「田崎ペルーレ」(兵庫県)が女王の座に挑み、ときにベレーザの手からタイトルを奪います(日興證券は3連覇を飾りました)。そしてその間に、「松下電器レディースサッカークラブバンビーナ」(大阪府)と「プリマハムFCくノ一」(三重県)が果敢な挑戦でタイトルつかみました。
しかし1999年から2003年にかけての「危機」の時代が去ったとき、新たな挑戦者が登場します。「浦和レッズレディース」(埼玉県)と「INAC神戸レオネッサ」(兵庫県)です。浦和については、この連載の第11回「新しい勢力の台頭」で紹介しました。地域のクラブだった「さいたまレイナス」をJリーグの強豪のひとつで、この当時には埼玉スタジアムを舞台に毎試合4万人、5万人を集める超人気クラブであった浦和レッズが2005年に運営を引き受けたものです。
この年に誕生した「レッズランド」という何面ものサッカー場をもつ練習施設と、浦和レッズが日本サッカーリーグ(1965~1992年)時代から培ってきた人的資源(運営スタッフと指導スタッフ)を得て、「レッズレディース」は順調に成長します。一部プロ契約もありましたが、選手の多くは埼玉県内にある浦和レッズのスポンサー企業などで働き、毎日夕方からきちんと練習ができる環境が整っていました。当時の女子サッカーとしては、理想に近い状況をつくり出していたのです。
レッズレディースは毎年優勝にからんだわけではありませんでしたが、「レイナス」時代の2004年に続き、2009年、2014年、2020年と優勝、計4回の優勝は、ベレーザの17回に次ぐものとなりました。
そして関西にも、まったく新しい勢力が登場します。「INACレオネッサ」は、兵庫県内で娯楽・飲食・スポーツ事業を手がけていた「アスコホールディングス」が世界に通じるスポーツチームをつくろうと、2001年に創立しました。「INAC」は、「International Athletic Club」を意味し、設立当初から国際的なチームづくりを意識したものでした。
当初から「プロ化」を標榜していたのも、目を引きました。2001年といえば、なでしこリーグ(当時の愛称は「L・リーグ」)が存続の危機に立たされた真っ最中で、経費節減のためにリーグを東西に分けて開催していた時期にあたります。
INACは2004年には関西女子サッカーリーグ1部で優勝を飾り、全日本女子サッカー選手権にも出場します。この大会では、1回戦で常磐木学園高校(宮城県)を3-2で下し、2回戦でベレーザと当たり、1-3で敗れます。しかしその奮闘を認められ、2005年のなでしこリーグ2部昇格を認められます。
このチャンスを逃さず、INACは代表FWプレチーニャを含むブラジル人選手2人と契約、1年目で2部優勝を飾り、創立から5年で日本のトップリーグであるなでしこリーグ1部に登り詰めます。そしてその後も補強に力を入れて次々とスター選手を獲得、ついには2011年女子ワールドカップのなでしこジャパン21人の選手団に7人もの選手を送り出すようになるのです。2012年には埋立地の「六甲アイランド」内に専用練習場の「神戸レディースフットボールセンター」も完成、ベレーザに対抗する有力な勢力に成長していきます。
育成の努力を持続し、次々となでしこジャパンに通じる選手を輩出し続けたベレーザは、2005年から4連覇を飾ります。しかしそこに新しい力が迫り、競い合うことで、なでしこリーグのレベルを上げていったのです。
文=大住良之(サッカージャーナリスト)
写真=Jリーグ
(つづく)