1989年、JLSL(日本女子サッカーリーグ)は女子サッカーの国内トップリーグとしてスタートし、「L・リーグ」、2004年から「なでしこリーグ」と名称を変えて歴史を刻んできた。フルタイムで仕事に就く選手、家庭や学業と両立してサッカーを続ける選手がいて、どんな苦境に立っても諦めずに前を向く選手もいる。それぞれがプロとは違う形でサッカーを愛し、道を切り開いたリーグでもある。連載第10回は、キャリアの中で3度も、競技者にとって致命傷と言われるひざの前十字じん帯損傷に見舞われながら、それでもピッチに立ち続ける愛媛FCレディースのMF・横山亜依(よこやま・あい、29)に、その強さの理由を聞いた。
(連載担当・スポーツライター増島みどり・文中敬称略)
(左・元チームメイトの假屋 麻衣子 / 中・リハビリ中の横山 亜依 / 右・現チームメイトの三田 一紗代)
ー夢を叶えたと思った時、初めて負った大けがでスタートしたキャリアー
兵庫県の小さな町クラブでサッカーを始めた女の子に、将来のサッカーで描ける夢は「特になかったんです」と、横山は笑う。
居心地がとてもいいクラブで、中学からは姫路市へ1時間以上かけて母親の車で送り迎えをしてもらいサッカーを楽しんだが、中学、高校と進み、現実も考えなくてはならない。
サッカー選手としての自分には期待は持てなかったので、兵庫では有数の進学校で、県内の公立大学を目指して勉強に励んだ。高2の時、全日本インカレで、名だたる名門や強豪と互角に戦う筑波大の女子サッカー選手たちを見て、初めてサッカーの目標を持てた。
「あぁいうチームでサッカーをしてみたい、と一気に気持ちが変わりました。雑草魂というか、私もエリートではありませんから、筑波のスタイルに共感しましたし、雑草の自分がどこまでやれるのか、チャレンジしたくなったんです」
目標が定まれば、勉強にも熱が入る。合格を果たし、初めて兵庫を離れて一人暮らしを始める。憧れの女子サッカー部で意気揚々とプレーする夢を叶えた2012年6月、ルーズボールを奪い合った時、右ひざのじん帯を痛めてしまった。環境に慣れたと思った矢先の大けがだった。
それでも落ち込んでなどいられない。大けがではあったが、大学の環境にも救われた。手術後、大学内の「SPEC」(Sports Performance and Clinic Labの略)と呼ばれるトレーニング施設に通い詰め、他競技のトップ選手たちのリハビリやトレーニングにも関心を持った。
「落ち込むってナンのこと?皆んな、そういうポジティブな気持ちでもっと強くなろうとしていたんですね。私もそう捉えました」皆んな
この後、まさかあと2回も、辛い手術とリハビリを繰り返さなくてはならないとは、当時の横山が知る由もない。この時は、若さをバネに厳しいリハビリをこなし2年の夏に復帰。2年のインカレで準優勝、4年ではユニバーシアード光州大会で銅メダルを獲得し、順調にキャリアを磨いていった。
ーまたも1年目に前十字じん帯切断 女子サッカーのエリートたちに見た強さとはー
卒業し、なでしこリーグの強豪で、女子日本代表「なでしこジャパン」の選手も輩出する「ジェフユナイテッド市原・千葉レディース」での挑戦をあえて選んだのは、雑草として、日本一の舞台、選手に強い憧れを持ったからだと振り返る。
日本一を目指すクラブに加入し、練習に臨んでいた6月、またも接触で右ひざの前十字じん帯を損傷してしまう。
2度目の受傷に、横山は落ち込まなかった。大学での経験を存分に活かし、今度は早期復帰を目指すリハビリメニューを自ら立てる。10か月で復帰したが、ケガではなく、実力差で出場できない苦しい時期が続いた。
子どものころからトップクラスでプレーをしてきた選手たちばかり。しかし彼女たちがそれに甘んじることなく、サッカー以外のトレーニングを欠かさず、常に重圧を背負って、それでもプライドを胸に戦う姿に圧倒されたという。
「雑草、とは全く違って、エリート選手にはエリートの揺るぎない強さがある。試合に出られませんでしたが、ジェフでの3年間で本当に学ばせてもらいました」
出場機会を求めて「全く縁のない違う環境で、自分のキャリアもガラッと変えてみたかった」と、出身の関西圏でも、大学とクラブで過ごした関東地方でもなく、四国の愛媛FCに入団テストを受けさせて欲しいと、直談判した。
ー3度目の前十字じん帯損傷、もう終わった、と覚悟してから愛媛で今、味わう充実感ー
移籍を認めてもらったが、4月に半月板(ひざの動きを支える軟骨)に傷があると判明。「さすがに、もう終わった」と、一度は引退を決意した。テストを依願したクラブに、何も恩返しできないまま、「ケガで引退します」とは言い出せない。先ず半月板の手術を行い、それから引退を伝えようと考えていたところ、気持ちを整理できないまま、流れで前十字じん帯の補強手術をする結果に。腱を移植して補強手術を終えると、クラブもドクターも「ゆっくり焦らずに治せばいいから」と、温かく見守ってくれた。
大学トップ選手に囲まれた最初のリハビリ、自ら一刻も早く強豪クラブに戻るために模索したリハビリに対して、3回目は、愛媛の気候や県民性なのか、ゆったりと自然体のなかで時間が流れ、焦りは消えた。市内のジムでのリハビリも、かつてない楽しさだった。
「一般のジムなので、年輩の方々や女性もいらっしゃって、そうか、愛媛レディースの選手かい。頑張れよ、焦っちゃだめだよ、と声をかけて頂き本当に有難いし嬉しいです」
地域に支えられ、若いチームの選手たちにも刺激を受ける。サッカーを広める活動への興味も湧き始めた。
現在は、「あいおいニッセイ同和損保」松山支社で午前9時から午後3時まで社員として勤務する。実は、千葉に所属していた際の勤務先でもある。千葉を退団し、テストを受けてでも新天地で挑戦したいと、退職の希望を上司に伝えると、「もし、会社の支社がある場所でサッカーができるなら、転勤という形を取ればいい」と、考えもしなかった勤務形態を助言してもらった。
ー切れたじん帯を繋いできたのは、厳しいリハビリと応援者と、雑草魂ー
女性アスリートで3度の前十字じん帯を損傷するケースは稀だ。しかし、横山は泣かない。笑顔で、どれほど辛いリハビリやトレーニングも黙々とこなしてきた。じん帯は切れても、それをつなぎ、さらに強くしたのは、手術や腱移植だけではなかったのだろう。
笑いが絶えない取材を終え、「もしもう1度大きなケガをしたらどうしましょう?」と、聞こうかと思ったが、止めた。
彼女の「答え」は、分かる気がした。復帰できるかできないかより、「先ずは前を向いて立ち上がってみます」そう言うのではないか、と。
横山亜依 プロフィール
1993年6月4日生まれ 兵庫県出身 ポジション MF
筑波大学→ジェフユナイテッド市原・千葉レディース→2019年より愛媛FCレディース所属
リーグ戦初出場:2016年3月27日 22歳297日
写真提供=上・愛媛FCレディース/下・J.LEAGUE
愛媛FCレディースチームURL:http://www.nadeshikoleague.jp/club/ehime_l/