連載コラム

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2022年09月13日

未来へ走るなでしこリーガー 第11回 髙橋楓姫(ASハリマアルビオン・MF)

夏季中断期間を経て、「なでしこリーグ」はいよいよ後半戦を迎える。1989年に発足したJLSL(日本女子サッカーリーグ)は女子サッカーの国内トップリーグとして始まって以来、「L・リーグ」、2004年からは「なでしこリーグ」と名称を変えて歴史を刻んできた。高い競技力に加え、仕事、家庭、学業を両立するなど、様々な形でサッカーを続ける選手たちの思いが作り上げたリーグでもある。そんな選手たちの魅力に迫る連載「未来へ走るなでしこリーガー」第11回は、高校卒業後にドイツリーグへ単身で飛び込み、ASハリマアルビオン(兵庫県姫路市)に、逆輸入で移籍した異色のキャリアを持つ髙橋楓姫(23,ふうこ)に聞いた。
(連載担当 スポーツライター増島みどり・文中敬称略)

髙橋 (8).jpgデュッセルドルフのケーニッヒス通りにて)


ーサッカーボールという地球儀を抱えてチャレンジを続けるー

 「そんなはずはないだろう」と分かっているのに、髙橋のユニークな話しっぷりに、ついつい吹き出してしまった。
 JFA(日本サッカー協会)のエリート教育プログラム「JFAアカデミー福島」で中・高を過ごし、高1で遠征先した経験のあるドイツでのプレーを決意。高校を卒業し、女子最高峰のブンデスリーグ「MSVデュイスブルグ」に加入した際の話だ。
語学学校のルーニッツ校長の自宅で、校長先生の家族と同居するきっかけについて、「センセイが社長さんでもあって、夫妻と、息子3人おったんです。そうしたら、ここでエエやんって・・・個室をもらえたんです」
ドイツ人の校長先生は、「来たらエエやん」とは言わないが、髙橋は、大阪弁で当時を振り返って再現する。環境の違いや言葉の壁は、18歳にとって難しい状況だったに違いないのだが、弾むような大阪弁を聞いていると、いつの間にかこちらも笑っている。
チームメイトとのやり取りを再現するのも大阪弁だ。デュイスブルグ、次に移籍した「ライプチヒ」でも、日本以上に激しくボールを競う。サイドバックで抜かれ、ファールを避けていたら、GKと1対1のピンチを作ってしまった。
「その時、チームメイトに、シャツ引っ張ってファールでもエエから止めろって。ピンチはピンチやけど、大ピンチやない、厳しく止めなあかん、って言われました」
チームメートが「厳しく止めなあかん」とは言わないはずだが、登場人物の言葉を大阪弁で再現するユニークな話術を聞きながら、高校卒業と同時に日本を飛び出したフットボーラーのタフネスが秘められているようにも思った。ドイツ語を学んでも、英語を話しても、言葉のルーツは決して変えない。そんな強さに満ち溢れている。
3歳で初めてサッカーボールに触れて以来、サッカー選手になる夢が消えた瞬間もなかったと、サッカー選手、なでしこジャパン目指してまっしぐら。高校1年の春、アカデミーのドイツ遠征でデュイスブルグやエッセンを訪問。この頃、2016年リオデジャネイロ五輪でドイツが金メダルを獲得したのもあって、世界一の女子サッカーを体験したいと移籍を考えた。


ードイツで学んだのは、サッカーだけではなかったー

17年2月、念願のドイツ移籍を果たし2部で先ずはデビューした。日本人のティーンエイジャーがただ黙々とトレーニングに励むだけで、試合に出られるほど甘くはない。語学学校の校長先生の自宅にホームステイしたお陰で学べた「生きたドイツ語」を駆使して、トップチームに合流させてもらいたいと必死の交渉をする。するとトップで練習できるチャンスをもらい、翌年11月、ボランチ、サイドバックなどプレーの対応力を評価されプロ契約を勝ち取った。
「ドイツでの生活は本当に楽しかった」と話す。週末は試合のために、校長先生の家族と出かけるのは難しかったが、一般的なドイツの休日は、家族でライン川沿いに集まってピクニックするなど、ショッピングやテーマパークで過ごす日本と違う様子を知る機会となった。実際に、自然に囲まれた公園で、友人たちとそうした時間を過ごすのも楽しく、ゆったり流れる時間にとても癒された。
「ドイツの休日は、お店で何かを買うとかじゃなくて、ただライン川沿いでみんなで遊んだり・・・日本ではこういう経験があまりできなかったので、好きな時間でした」
特別な経験もしたという。

髙橋 (12).jpgMSV デュイスブルクでのラスト試合


一人で異国での挑戦を始めたころ、SNSを通じて応援してくれるドイツ人のミハイルさんと交流した。「見知らぬ異国で、一人で頑張るなんてホンマにエライなぁ」といつも励ましてくれる。バイエルンファンの彼が、長距離バスで8時間もかけて、わざわざデュイスブルグ対バイエルン戦を応援に来てくれた時、彼が車椅子を使っていたのを初めて目にした。メッセージのやり取りでは分からなかったが、本当に感激したそうだ。
サッカー応援するのに車椅子は関係ない、8時間かけても、スタジアムに来てくれる姿に、ハンディがあるかかどうかは無関係だと実感した。彼だけではなく、日本からドイツにやってきたティーンエイジャーの勇気を、誰もが認め、応援してくれた。
「だから、どんなに苦しい時も、難しいときも、その人たちの顔を思い浮かべて頑張りました」
19年~20年のシーズンに、今度はライプチヒに移籍。ここでドイツ代表、オーストリア代表選手たちの高い技術や、試合を決める判断力を近くで見て吸収した。ドイツで2つ目のクラブで手応えを感じ始めた頃、ヨーロッパも新型コロナウイルスのパンデミックに飲み込まれてしまい、帰国を決断した。


ートライアウトで与えられた場所でー

帰国を決めて、自分の経歴書を作り、ハリマにトライアウトを依願した。ボランチができる、ミドルシュートが武器、球際の強さ、これらをアピールして加入のチャンスを与えられた。前半戦は先発からではなく、後半、試合の流れを変える重責を担った。
試合中は、前半から自分が起用されそうなポジション、選手の動きを注意深く観察する。ドイツで2チームでのプレーを経験し、身に付いた予測力は持ち味だ。アカデミー出身の選手は、中・高ではなるべくポジションを固定しない方針もあり、髙橋も左右サイドバック、ボランチ、攻撃的ポジションもこなす柔軟性がある。
ハリマに加入し、日本のテクニック、戦術の理解度は改めて素晴らしいと感じた。一方、ドイツでは練習から厳しく求められた球際の強さや、代表クラスの個人技のレベルを「なでしこリーグで、もっと磨きたい」と話す。夏の中断期間、自分のテーマとした持久力アップに連日取り組み、手応えを感じている。チームも前半を、上位進出を視野に捉える5位(勝ち点25)(取材日時点)で折り返し、巻き返しに体制を整えた。
9月23日と27日には、約2年を過ごしたデュッセルドルフで日本代表がカタールW杯前に向けて国際親善試合を行う。それを告げると、しみじみと「わー懐かしいなぁ」とつぶやいた。
日本のなでしこリーグで掴んだ貴重なチャンスと同じに、急成長を遂げているオーストラリアやポルトガルでのプレーも、もし機会が得られたら経験したいと夢見る。サッカーボールと地球儀を一緒に抱いて笑っている。23歳の、そんな姿が目に浮かんだ。

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髙橋楓姫 プロフィール

1998年11月2日生まれ 大阪府出身 ポジション MF

JFAアカデミー福島→MSV Duisburg Ⅱ→MSV Duisburg Ⅰ→RB Leipzig→2021年よりASハリマアルビオン所属

リーグ戦初出場:2013年4月28日 14歳177日

写真提供=ASハリマアルビオン

ASハリマアルビオンチームURL:http://www.nadeshikoleague.jp/club/a_harima/

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